GP列伝 嵯峨亜希子 先生

 秋田大学で5年生から6年生にかけて行われるClinical Clerkship 2(CC2)で総合診療・検査診断学講座をローテしてくださった皆さんに、自分の知りたい事や今後のライフプランなどに役立てる目的で実習に伺った病院の先生へインタビューを行い、医師としてのマインドやロールモデルなど学ぶ事を課題としています。こちらを『あきたGP列伝』として掲載します。

今回は、秋田大学医学部附属病院 総合診療部の嵯峨亜希子 先生へ、加藤 あづみさん(5年生)がインタビューを行いました。

嵯峨 亜希子先生は、秋田大学 総合診療部に所属して7年目になります。
もともとは、循環器内科で働いていた時期もあったのだとか。
嵯峨先生は、今までどのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか。
先生は、卒後3年間の内科研修を経て、東北の大学院に進みました。
研究をしながら、循環器内科で働く日々を過ごします。

【嵯峨先生】
「循環器内科を選んだのは、カテーテルをやりたいという思いがあったからでした。」

しかし、いつしか外来に魅力を感じるようになったといいます。
先生には、印象的なエピソードがありました。

【嵯峨先生】
「麺の汁まで飲み干してしまい、そのたびに入院を繰り返していた心不全の患者さんがいました。しかしある時の入院では、本人には思い当たる節がなかったようなんです。詳しくお話を聞いてみると、毎日2階まで階段を上って、洗濯物を干していたことが判明しました。それもあって、ご本人の身体に負担がかかっていたわけですね。」

患者さんの疾患と生活背景には密接な関わりがあるということを、改めて実感したといいます。

【嵯峨先生】
「患者さんの生活を把握しサポートをすることで、症状の改善や予防にも努めたいと、考えるようになりましたね。」

そして結婚、出産・子育てを経て、先生は関東の病院で働くことになりました。

【嵯峨先生】
「いわゆる地域の病院といったところでした。ご高齢の入院患者さんも多くいらっしゃいましたね。患者さんの退院後の生活を想定し、ソーシャルワーカーさんと密に連携しながら治療を進めたのが印象的でした。」

患者さんのゴールは退院ではなく、その先の日常生活にあるということを常に意識していたといいます。
その後秋田県に戻った先生は、恩師のクリニックで働くことになりました。
クリニックでは、今までとは異なる苦労を経験したといいます。

【嵯峨先生】
「クリニックでは、患者さんを病院に紹介するという仕事が多くあります。患者さんごとに適した病院を決めるためには、その方の病態を正確に把握して、鑑別疾患を考える技術が不可欠なんです。その技術が、私にはまだ不十分だと感じましたね。」

そして、本格的に診断学を学ぶために総合診療部に拠点を移しました。
今年で、総合診療部に所属して7年目を迎える嵯峨先生。
最後に、今後の目標をお聞きしました。

【嵯峨先生】
「実際には、診断をつけることが困難な場合も多くあります。しかし、患者さんとの関係がそこで終わる、ということではありません。患者さんがその症状と上手に付き合っていくために、私にできるにサポートを続けていきたいですね。そのために、『困ったときにいつでも相談できる医師がいる』と、患者さんに思っていただけるような医師になれたらと思います。」

嵯峨 亜希子先生 年表