医学生として過ごした秋田の5年、三十一文字の恩返し

総合診療科で実習させていただいたCC2の大根田新之介です。

私が秋田に来て、もう5年が過ぎようとしている。

埼玉県川口市に育った私は、両親の実家ともに関東にある関係で関東地方から出る経験もあまり多くなかった。京都を中心とした関西地方には関心があり、ときにそちらには出向くことがあったが、東北地方というと、幼いころの1、2回程度であったと思う。

秋田に来てから自分の出身地について話すと「都会だね」や「じゃあシティボーイだ」とよく言われるが、私の生まれ育った地は社会科的に言えばベッドタウンである。基本的に親は電車などで東京に働きに出て、夜になると帰ってくる、という構造の街だ。そのような街に育つと自分たちが都会に住んでいるという自覚はなくなっていく。その結果、私は自分のことを「都会と田舎のどちらにも所属できなかった半端者」だと認識するようになった。実際、郊外というものは本質的にそのような命題を住人に突き付けているような気がしてならない。

しかし、秋田というこの土地は私に一つの所属先を与えてくれた。だからこそ、この地、秋田について私自身が書いた和歌をいくつか紹介したい。

一つ目は、にかほ市にある象潟を訪れた際の作。

きさかたの あまになぞらふ すゑながれ
 いものかわいさ われもおぼれん

現代語訳:空と海の境界がなくなって、まるで長い裾のよう。西施がそのあまりの美しさに川魚さえも溺れさせたように、あなたの美しさに私も溺れてしまう。


象潟は松尾芭蕉が詠んだ「象潟や雨に西施がねぶの花」という俳句が有名で、この句にちなんで象潟には西施像が建っている。

二つ目は、能代市二ツ井にあるきみまち阪を訪れた際の作。

きみまちの さかこえる よるにかけて
  かたらふべきもの おもひおよびぬ

現代語訳:君を待ちすぎるあまり、寂しさの峠も超えてしまった。今は夜通し君と語らうべきことを思いつくだけ。

この原稿を書くにあたって、Wikipediaの「きみまち阪」の項を見てみた。そのページによれば、1999年にNHKで放送された「おーい、ニッポン」で秋元康作詞、後藤次利作曲「きみまちざか」が放送されたようだ。この地が象潟と同様に文学的な名所として知られることを祈るばかりである。

学生生活もあと1年となった。私ができる恩返しは文学的なものしかない。短い期間ではあるが、もう少しこの地について描ければ嬉しい。