あるべき姿は「正義の味方」ではなく「患者さんの味方」 ◆あきたGP列伝 粟﨑先生編(1/2)

 秋田大学で5年生から6年生にかけて行われるClinical Clerkship 2(CC2)で総合診療・検査診断学講座をローテしてくださった皆さんに、自分の知りたい事や今後のライフプランなどに役立てる目的で実習に伺った病院の先生へインタビューを行い、医師としてのマインドやロールモデルなど学ぶ事を課題としています。こちらを『あきたGP列伝』として掲載します。

 今回は、さくら内科・糖尿病クリニック 院長 粟崎 博 先生へ、唐澤 卓人さん(5年生)がインタビューを行いました。

 

【唐澤】よろしくおねがいします。粟崎先生は再受験して秋田大学の医学部に入学したんですよね?

【粟﨑先生】新潟高校という進学校を卒業しているんですが、そこで僕は落ちこぼれ組で(笑)勉強はほとんどしていなかったので、450 人中390 番台くらいの成績でしたね。

さくら内科・糖尿病クリニック 院長 粟﨑 博 先生

【唐沢】どんな高校生活でしたか?

【粟﨑先生】ビリヤードが好きだったのでビリヤード場に入り浸っていました(笑)ただ、なんとなく昔から医者になりたくて、医学部に行こうと受験勉強を始めたんですが、結局、受験勉強も全然しないでビリヤードばかりでした。その年の受験は失敗してその後浪人生活に入ったんですが、そこでも失敗をして、2浪した後に千葉大学の園芸学部に入りました。

 

【唐沢】医学部再受験を思い立ったのはなぜですか?

【粟﨑先生】単位が足りなくて、このままで卒業できないなと思って(笑)将来が全然みえないなかでもう一度医学部を目指したいなと考えました。そこで、アルバイトしたお金で千葉大学に行きながら、予備校に通って大学の図書館で受験勉強しました。多分人生で一番勉強しましたね。 それで、秋田大学は2次試験科目が少なく一次で逃げ切れるので、受験して合格しました。

【唐沢】先生の学生生活についてもぜひ教えて下さい。

【粟﨑先生】入学後は塾講師のアルバイトを始めて、それが楽しくて楽しくて(笑)。夜遅くまでバイト仲間と問題作ったりしていましたね。それで大学がちょっとお粗末になって、大学の授業も出たり出なかったり。でも、なんとか6年生までストレートで進級したんですよ(笑)

【唐沢】当時の秋田大学の進級は難しかったですか?

【粟﨑先生】厳しかったです。(笑)4年生と5年生の進級が特に厳しくて、10〜20人くらい落ちてましたね。

唐澤 卓人さん 秋田大学医学部5年生

【唐沢】20人?!

【粟﨑先生】「試験は追試からだ!」と考えて頑張って切り抜けてきたんですが、卒業試験で19科目追試になりました。(笑)結局、1科目落として6年生で留年しました。次の年は、落とした1科目だけ合格するために、ビリヤードしつつ勉強してって生活だったので、卒業はしたけど、今度は国家試験が不合格でした。その後、ビリヤード場に夜中まで入り浸って勉強して、なんとか国家試験も合格しました。今でも「僕は大学で何を学んだんだろう?」って思いますね。(笑)

【唐沢】長い道のりでしたね。先生の友人やご家族は応援してくれていましたか?

【粟﨑先生】友人からは「こいつよく医者になれたな。」って言われました。(笑)父は幸い「犯罪してるわけじゃないから」って言ってました。でも、お金も足りなかったので、中通総合病院の当時院長の瀬戸先生に相談したら、「2年分の奨学金1 年でやるからそれで頑張れ」って応援していただきました。

 

【唐沢】それで、医師免許取得後は中通総合病院で研修されたんですか?

【粟﨑先生】はい。研修医時代は、同級生が先輩にいたりして複雑な心境の研修でした。当時の中通総合病院の救急は「どんな患者でも断らない」ってマインドがあって、「ここで研修すればどんな患者でもみれる医者になる」っていわれてました。

【唐沢】先生はJMECC(日本内科学会認定内科救急・ICLS講習会)インストラクターの資格もお持ちですが、中通総合病院の研修時代の経験が生きているのでしょうか?

【粟﨑先生】救急の「絶対命を救うぞ」というマインドや、勘どころは中通総合病院での研修で培われていきました。研修医時代は、病院内で何かあるたびに必ず一番先に駆けつけようと心がけました。指導医に「時間だし帰ってもいいよ」って言われても「いや部活みたいなものなんで。」って言って残って処置をやったり、、、

【唐沢】体育会系のノリですね。(笑)研修を終えたあとはどちらに行かれましたか?

【粟﨑先生】そのまま中通総合病院に勤務しました。僕は医師免許取得までで他の人の倍くらい時間かかってるんですね。先輩の医師に相談したら「今からどっか行ってもしょうがないから、まずここでやれ」って言われて。自分もいろいろ場所を変えるのも面倒だったので、そのまま残ることにしました。(笑)

 

さくら内科・糖尿病クリニック

【唐沢】先生が糖尿病内科を志望されたのはなぜでしょう。

【粟﨑先生】元々、小児科志望だったんですが、どうしても子供の死と向き合えなくて。悩んだ挙句に糖尿病内科に進みました。当時の糖尿病内科って、反面教師と言ったらあんまり失礼なんですけど、救急をやっていると、放置された糖尿病患者とか糖尿病でフォローされているのに合併症検索されていない人たちが急変して運ばれてくるんですよ。

【唐沢】それを自分がなんとかしようと?

【粟﨑先生】はい。こういう糖尿病内科の現状を見るにつけ、「ほっといてどうするんだよ」と思ったわけです。先輩の医師たちに「糖尿病内科をやる」と言ったとき、「糖尿病内科やると他の科から恨まれるよ」って言われました。

【唐沢】恨まれる、、? 

【粟﨑先生】検査もろくにやらず患者さんや他科に迷惑ばかりかけているからです。 本来の糖尿病内科医って、他の先生とうまくやって、患者さんの治療方針を他の先生たちとコーディネートしていくのが役割でしょう。

【唐沢】感染症や外傷と違い、患者さんにとって糖尿病は一生向き合っていかない病気だと思います。先生が心がけている診療のスタンスはなんでしょう?

【粟﨑先生】僕はどんなときでも「患者さんの味方」でありたいと思っています。たとえば、ついつい食べすぎてヘモグロビンA1c 高値になった患者さんがいたとして、「食べ過ぎなので一日〇〇kcal 以下に抑えなさい。」と一方的に指導しても患者さんは従ってくれるでしょうか。最悪、治療を自己中断してしまうかもしれないし、糖尿病を良くすることだけがその人の幸せでもない。つい僕らは医療者としての正義を振るってしまいがちですが、あるべき姿は「正義の味方」ではなく「患者さんの味方」なんです。

                           その2へ続く

《 粟崎 博 Hiroshi Awasaki 》
さくら内科・糖尿病クリニック院長。
2002年秋田大学卒業。
2017年秋田市にさくら内科・糖尿病内科を開院。家庭医・救急医として地域に根ざした医療を行う。

<免許・資格>
日本内科学会認定内科医
日本糖尿病学会認定 専門医・研修指導医
日本プライマリ・ケア連合学会 認定医・指導医
日本内科学会認定 ICLSインストラクター JMECCインストラクター
日本糖尿病協会認定 カンバセーションマップ ファシリテーター ​ 
認知症サポート医