アドバンス・ケア・プランニングの「当事者」

CC2 猪熊春花

私は総合診療部の実習を通して、医療者と患者家族、その両面からアドバンス・ケア・プランニングに触れる経験をしました。今回は、その体験について振り返る意味も込めて、アドバンス・ケア・プランニングについて考えてみたいと思います。

総合診療部では、院内・院外の様々な実習がありますが、私にとって特に印象的だった実習は、「緩和ケアセンター」での実習でした。

実習では、はじめに先生からのレクチャーがあり、続いて緩和ケアチームの回診を見学します。先生がレクチャーで強調されたことは、後述するアドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning)について、「何かを決めることが大事なのではなく、話す中で人となりを知るプロセスが重要であり、それを共有することが大切である」ということでした。

実際に回診では、痛みや吐き気といった身体的な症状や、精神的な苦痛に関するヒアリングはもちろん行われますが、患者さんの生い立ちや趣味、職業などの「雑談」が会話の大部分を占めることもあります。人となりを知るためには、この「雑談」が重要なのだそうです。

奇しくも、緩和ケアセンター実習の翌日、地元の病院で緩和ケア病棟に入院していた私の祖母が他界しました。末期の口腔がんで、祖母自身も積極的な治療は望んでおらず、診断後は疼痛管理を中心とした緩和ケアを受けていました。いよいよ経口摂取が難しくなり、胃瘻造設を行うも栄養が確立せず、できることは末梢からの輸液のみであったため、数日前に面会したときから心の準備はできていました。そのためか、訃報に対して驚きはありませんでした。というよりも、あまり実感が湧いていなかったのかもしれません。

生前の祖母の希望で、葬儀の規模はそれほど大きくはありませんでしたが、十数年ぶりに親族が集まり、近所の方や自治会役員の方も参列され、祖母を中心とした様々な繋がりと縁を感じる場となりました。

祖母は数年前から、いわゆる「終活」を進めており、自身の最期や葬儀などについての内容を含めた遺言を書き記していました。しかし、それを親族に直接話すことはなかったため、詳細な内容や祖母の思いは誰にもわからず、葬儀の準備には難渋したそうです。

喪主である叔父は、挨拶でこのように語っていました。「母と、もっと会って話しておけばよかった。皆さんは、ぜひ家族と直接、たくさん話をしてください」

また、父は「こんな時には、自分の最期のことも考えざるを得ない」と、父自身の葬儀について、今考えうる希望を話してくれました。会話の中で、これこそがアドバンス・ケア・プランニングであり、私自身は勿論のこと、社会の誰もがその当事者であると強烈に実感した体験でした。

改めて、アドバンス・ケア・プランニングとは、「将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組み」と定義されています。また、「人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドライン」によると、「アドバンス・ケア・プランニングの実践に当たっては(中略)かかりつけ医を中心に多職種が協働し、地域で支えるという視点が重要」とされています。「かかりつけ医」という文言は、令和2年の改訂で新たに加わりました。その定義は、「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」です。つまるところ、「かかりつけ医」とは、「雑談」ができるプライマリケアの専門家であると言えます。

総合診療の専門性は、まさに「かかりつけ医」の専門性です。アドバンス・ケア・プランニングが普及していくにつれ、「かかりつけ医」、すなわち総合診療医の必要性は今後ますます高まるでしょう。私もまた、今後は医療者として、アドバンス・ケア・プランニングの当事者になっていくのだと思います。